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充電完了? [Thought]

another world

年末から続いたもやもやはようやくなくなった感じです。
あれはいったいなんだったのかなぁと考えているのですが、結局自分を見失ってたんだろうなぁと思ってます。

あの頃は Rolleiflex のカラーで家族の写真ばかり撮ってました。
ああいう写真って、イメージ先行というか、撮りたいイメージがあってそれに近づけていく感じがするのですが、僕だけでしょうか?
とにかく僕にはそうだったんですよ。
でも、僕は考えて計算して撮るのって苦手・・・というかできないんですよね。
今まで撮ってきた写真は、基本的に!ときた瞬間にシャッターを押してるだけで、構図やらヒカリの具合やらを撮る前から想定して撮るようなことはしてません。

そんな自分が、できないような撮り方で頭いっぱいにして、気付いたら自分何したいんだっけ?という状況に陥った・・・というのが自己分析です。
もちろん、苦手だからってやらないというのも違うと思うので、これからチャレンジはしていきます。けど、自分はどんな写真が好きか、芯になるところがぶれちゃ撮れる写真も撮れないなと実感しました。
でも、こういうのって頭でわかるのと、実感としてわかるのとは違うんですよね、きっと。で、また後で同じようなことしてたり。
周りからみたら、またやってんの?って。(笑)

それでも、どんなときも腐らず撮り続けようってことです。はい。
前進あるのみ!進めー。

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転機(独白) [Thought]

real?
Olympus OM-1 F.ZUIKO 50mm F1.8 + Kodak 100TMX

僕の写真に、というか写真の撮り方に転機が訪れました。
自分の記録のためにも書いておこうと思います。
興味のある方は読んでみてください。

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あるひとつの答え [Thought]

Downtown
ROLLEIFLEX 3.5F Planar

以前から「自分の写真」とはどんなものかを考えていました。
ああでもない、こうでもない。

「光と影のエレガンス」の講評をいただいてからここ数日、今までより濃いもやもやが頭の中を浮遊していました。それが今日すっとひとつのところに収まりました。
それはあまりに当たり前のこと。
「自分の写真」とは「自分が撮った写真」だということです。

言葉遊びじゃありません。
「自分が」「撮った」「写真」には大きな意味があります。
うまく書けるかわかりませんが、できるだけ理解してもらえるよう書いてみたいと思います。

今回のイベントで「エレガンス」ってなんだろう?とずっと悩みました。
イベントが終わっても「エレガンス」の答えは出ませんでした。
ここで、ひとつ大きな間違いに気付きました。
「エレガンス」に答えがあると思ったことです。

「エレガンス」は、一般的に「優雅さ」などと訳され、またそのようが概念が人の中にあります。
でも、何がエレガントかというのは、答えがあるわけではなく、自分が定義するものです。
つまり、自分がエレガントだなと感じたものは、それがエレガンスなんです。
また、時と場合によって自分の中でも変わる可能性のあるとても曖昧なもので、明確に定義することはできないんです。

ここで「自分の写真」に立ち戻ると、私が言いたいことがわかってもらえるような気がします。
自分とは、その人本人です。
私にとって、自分とは、私のことです。
そして、私が自分と思う人の定義は私の中にあります。たとえそれが、ほかの人から違うと思われても。
その自分が、何かを感じて、何かを撮りたくてシャッターを切ったもの。
それが私の言う「自分が撮った写真」です。

自分の中の自分の定義、そして何をどう感じるかには、これまた時と場合によって変わってくるものです。
だから、「自分の写真」にも明確な答えはありません。
けど、「自分が撮った写真」は必ず「自分の写真」です。


これが現時点での私の答えです。
答えというか、私の理解(定義)といったほうが正しいでしょうか。

理解したからといって、写真の悩みが尽きることはありません。
自分は何を感じたか、何を撮りたかったのか、それがちゃんと写真に写っているのか。

でも、今までは不安なまま悩んでいましたが、今後は自信を持って悩めそうです。


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自分の写真 [Thought]

a kid

最近写真との向き合い方、撮影スタイルに大きな転機が訪れました。
最近の私はというと、週末になるとモノクロフィルムを詰めて人物をスナップするために街に出ていました。でも、どうも気が晴れない、楽しくない。

そのきっかけとなったのが、カラー写真と二眼レフです。

ある人にモノクロとカラーの写真を見てもらったのですが、どうもカラー写真の方が反応がいいんです。「なんかいいな」って。被写体も違うし、モノクロとカラーで違うし、その人の好みなんかもあるとは思いますが、それは問題ではないんです。問題は、自分がその「なんか」に思い当たることがあったことです。それは「モノクロ(人物スナップ)はがんばって撮っている、カラーはリラックスして撮っている」ということです。そして、その「なんかいい」の反対側には、がっついた気持ちが写っているんじゃないかとも。
それ以来、人物スナップをしていると、自分が餌に飢えて徘徊している肉食獣のように思えて、シャッターを切るのがだんだん苦痛になっていきました。

もう一つのきっかけが二眼レフです。
二眼レフで撮影していると、とても気持ちが静かになるんです。
物理的に大きく、機構的にもすべてマニュアル操作で、どうしてもゆったりとするということもありますが、その撮影感覚がとても心地よく、自分のスタイルにとても合っていると感じました。
そしてできあがった写真にも、その「なんか」が写っていると思いました。

そうやって、鬱々としているときに励ましてくれたのが、クリエーター仲間の E.N. さん。
E.N. さんは写真ではないのですが、そこは同じクリエーター、似たような経験をされていて、そのときの話や今振り返ってそのときのことをどう思うかを話してくれました。
その話を聞いて、肩の力がすーっと抜けていくのを感じました。

きっと、たくさんいい写真集を見て、理想・目標だけがどんどん高くなって、それと自分を較べちゃってたんでしょうね、知らないうちに。理想が高いことは悪いことじゃないけど、そこと自分の位置の差に目がいってしまってとらわれていたような気がします。

実はしばらく人物スナップから距離を置こうと思っていたのですが、時を同じくして、二つのことが背中を押してくれました。

一つは、先日届いた Elliott Erwitt の写真集。届いたのが、私の気がどん底を抜けて少し上向きになっていたときだったからでしょう。この写真集を見て、彼独特のユーモアも手伝って「ああ、人物スナップはやっぱりいいな」と「やっぱり、こんな写真を撮りたい」と、改めて思いました。

そしてもう一つが、この 1 本を撮り終えたらしばらく距離を置こうと思っていた、その最後のフィルムに収められていた写真。それが昨日のエントリーの写真なのですが、これを見たとき、自分の写真ながら人ごとのように「あ、これいい!」と思ったんです。自分の写真ではっきりとそう感じる写真はいままでありませんでした。
これはもしかしたら偶然かもしれません。けど、偶然でも撮れる可能性があるのなら、自分はこんな写真が撮りたいです。

そんなこんなで、今はもう少し肩の力を抜いて人物スナップをしていこうと思っています。
もちろん、人物だけじゃなく、風景スナップも。

少し吹っ切れたら、また写真が撮りたくなってきました。
悩んだり凹んだりするけれど、やっぱり写真が好きです。


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